2012年3月29日をもって、インプロゼミは解散しました。
私たちの代で始まり、私たちの代で終わったインプロゼミ。活動期間は1年半という短い間でしたが、その間の学びの質・量はどこのゼミにも負けていないと自負しています。
文字通り、最高のゼミでした。
今後、ゼミのメンバーはそれぞれの道へと進んでいきます。しかし、どの道へ進もうとも、みなインプロで学んだことを糧に、創造的な人生を送ることでしょう。
インプロゼミ、解散!
2012年3月16日金曜日
銀河ホール学生演劇祭振り返り
お久しぶりです。うつみです。
さて、前回のブログでは「インプロゼミは社会見学ゼミになりました」と書きましたが、このプロジェクトは暗黙のうちに終了しました。
そして今日のゼミでは、もっちーと僕が行った銀河ホール学生演劇祭の振り返りを行いました。インプロゼミとしては久しぶりのゼミですね、たぶん。
銀河ホール学生演劇祭を簡単に説明すると、岩手県和賀郡西和賀町にある銀河ホールで学生の演劇祭を行い、地域を活性化させようというイベントです。今回はプレ開催ということで、日本大学、多摩美術大学、東京学芸大学(正確にはSAL-MANE)が参加しました。
SAL-MANEは今回の企画で、インプロのワークショップとショーを行いました。1週間ほどの滞在の中で、ワークショップは小学生向け、大人向け、混合と10時間以上行いました。そして1時間のショーはその成果発表として行いました。
振り返りは『プロフェッショナル 仕事の流儀』風に行いました。僕があらかじめ書いておいた紙を、「ポーン」という例の音に合わせて出し、それを説明をするというスタイルです。文章では意味が分からないと思いますが、実際に見ても意味が分からないので大丈夫です!
なお、先に結論を書いておくと、今回のプロジェクトは「最高!」でした。したがって振り返りは、なぜ今回のプロジェクトがこんなに上手くいったのかを明らかにするという視点から行いました。
前半は、時系列に沿ってプロジェクトで行ったことやその場の様子について話しました。そして後半は、僕の個人的な振り返りを話しました。せっかくなので、ここでは後半の内容をシェアしておきます。はっきり言って内容は難しいですが、僕としては核心に近づいているという実感があります。
教えることをためらわない。=想像上の他者と争わない。
インプロの会は一応「インプロワークショップ」と名づけていましたが、実際には「インプロクラス」でした。つまり、インプロを教えるということを追求したクラスでした。
これまでワークショップを行うと、自分の中にはインプロを教えようとする自分と、インプロを教えることを止める自分が混在していました。まるで自分の中に想像上の他者がいて、その人と争いながら、もしくはその人に批判されないように行動していました。
しかし、今回のクラスでは「インプロを教える」ということをためらわない自分がいました。そしてその結果、伝えたいことが伝わるという結果になったように思います。
省察は自分を疑うためにも、信じるためにも必要だった。
では、どうして教えることにためらわない自分になったのかというと、それは省察を積み重ねてきたからだと思います。省察はジョン・デューイによって生み出された概念であり、「自分の信念について改めて考えること」を意味します。これは「自分の信念を意味づけすること」とも言えます。
はっきり言って、インプロが上達すること自体には価値はありません。中には「インプロが上達することによって、日常生活のパフォーマンスも上がる」といったことを言う人もいますが、「それなら話し方教室にでも通っておけ」と僕は思います。
しかし、インプロを通して学ぶこと、例えば失敗に対する恐怖との付き合い方や、創造性の構造とそれを発揮するための在り方などは、価値があることです。
これまで省察を積み重ねたことにより、今の僕は以前の僕よりもインプロに対するこのような意味付けが豊かになっています。その結果、自信を持って教えられるようになったのではないか、と考えています。
一般的に、省察は自分を疑うためのものと考えられています。これまでの自分の信念について疑うことで、新しい考え方が生まれてくる、といった具合です。
しかし今回の変化の中で、省察は自分を信じるためにも必要であることに気づきました。ある信念に対し改めて考え、それでもやはり大丈夫だと思ったとき、人はより自分を信じられるようになるのではないでしょうか。
「子どもの言動に理を与える」 by ドナルド・ショーン
省察は、僕がインプロ教える際にも核となる考え方でした。デューイの省察研究を発展させたと考えられているドナルド・ショーンは、省察的な授業とは「子どもの言動に理を与える」ことであると述べていましたが、今回その意味がより分かった気がします。
インプロをやっていると、良いシーンも出てくれば、悪いシーンも出てきます。これは料理の味と同じように直観的に、そしてほぼ確実に分かるものです。
しかし、なぜそのシーンが良くなったのか、悪くなったのかは分かりづらいものです。今回のクラスでは、良いシーンがあればなぜそのシーンが良くなったのか、悪いシーンがあればなぜそのシーンが悪くなったのか、その意味づけをしようとしました。
そしてその意味づけの過程で、失敗に対する恐怖との付き合い方などは自然に教えられたように思います。これは具体的に言えば、役者がリスクを取って失敗するシーンを見るとそれは良いシーンに見えるが、役者がリスクを取らず失敗もしないシーンを見るとそれは悪いシーンに見える、といった具合です。(ここらへんは実際にインプロをやったことがないと伝わりづらいですね。)
目的の沿って集まり、そして別れていく。(Act!Act!Act!)
今回のクラス&ショーは本当に素晴らしいもので、楽しいものでした。そしてこれはインプロを教える&学ぶという目的があったからこそ達成されたものだと僕は考えています。
今回参加してくれたメンバーは皆素晴らしい人たちでした。しかし、もし同じ人たちで集まってただ遊んだだけなら、これほどの楽しさは得られなかっただろうと思います。
人は目的に沿って集まり、そして目的が達成されたら別れていくものなのだろう、と僕は思いました。中には目的を共有しなくても楽しめる人もいるかもしれません。しかし、自分は目的が無ければ人とは関われない人間なのだな、と改めて思いました。
なお、これは舞台の上でも同じだと思います。例えば「何もするな」と言われて舞台の上に放り出されたら、多くの人は非常に大きな不快感を抱くだろうと思います。反対に、「これをする」というプランが詰まっていれば、人は舞台の上で生き生きとAct(目的を持って行動)することができます。
楽しいことでは続かない。価値あることなら結構続く。
もしインプロがただ楽しいだけのゲームであったならば、僕はすぐに飽きてしまっただろうと思います。なぜなら、感情はそもそも移ろいやすいものだからです。
しかし、今の僕はインプロを探究することに対して価値を感じています。だからこそ今までインプロを続けてくることができたし、これからもインプロを探究しようとしているのだろうと思います。そして今インプロが楽しいのは、インプロ自体が楽しいからというよりも、価値があることを探究することが楽しいからだと思っています。これは先程のActすることと同じことを表しています。
そもそも、スタニスラフスキー的に言うならば、感情はプロセスではなく結果です。そして、感情それ自体を生み出すことは人間にはできません。もしそれをやろうとすると、嘘くさい演技のようなものになってしまします。
学びは遊び。遊びは学び。
これまでの内容を総括する風に言えば、自分にとって学びは遊びであり、同時に遊びは学びなのだと思いました。
一般的には、遊びは無目的なものだと考えられているように思います。しかし僕は、もし本当に遊びが無目的であったら、人は遊べないのではないかと考えています。それはルールの無いサッカーでは、サッカーをすることができないことと同じように。
遊びの中でも、人はそれぞれ目的をもってActしているのではないか、と僕は思います。しかし、その目的はいわゆる目的と言われる固まったものではなく、その瞬間瞬間に生成される目的であるため、外から見たときには無目的に見えるだけなのではないか、と思います。
そして、瞬間瞬間に目的が生成される、というのはとてもインプロ的な感覚です。インプロでは「この方向で進めよう」とするとシーンは死に、その瞬間に思いついたことを表現するとシーンが生きます。これは「考える」とシーンは死に、「自分の創造性に寄り添う」とシーンが生きる、と言いかえることもできます。
これは「考える」ということが行き詰まっている現代において、一つの突破口になるのではないかと今の僕は考えています。しかし、それはまた今度のお話になりそうです。
おしまい。
さて、前回のブログでは「インプロゼミは社会見学ゼミになりました」と書きましたが、このプロジェクトは暗黙のうちに終了しました。
そして今日のゼミでは、もっちーと僕が行った銀河ホール学生演劇祭の振り返りを行いました。インプロゼミとしては久しぶりのゼミですね、たぶん。
銀河ホール学生演劇祭を簡単に説明すると、岩手県和賀郡西和賀町にある銀河ホールで学生の演劇祭を行い、地域を活性化させようというイベントです。今回はプレ開催ということで、日本大学、多摩美術大学、東京学芸大学(正確にはSAL-MANE)が参加しました。
SAL-MANEは今回の企画で、インプロのワークショップとショーを行いました。1週間ほどの滞在の中で、ワークショップは小学生向け、大人向け、混合と10時間以上行いました。そして1時間のショーはその成果発表として行いました。
振り返りは『プロフェッショナル 仕事の流儀』風に行いました。僕があらかじめ書いておいた紙を、「ポーン」という例の音に合わせて出し、それを説明をするというスタイルです。文章では意味が分からないと思いますが、実際に見ても意味が分からないので大丈夫です!
なお、先に結論を書いておくと、今回のプロジェクトは「最高!」でした。したがって振り返りは、なぜ今回のプロジェクトがこんなに上手くいったのかを明らかにするという視点から行いました。
前半は、時系列に沿ってプロジェクトで行ったことやその場の様子について話しました。そして後半は、僕の個人的な振り返りを話しました。せっかくなので、ここでは後半の内容をシェアしておきます。はっきり言って内容は難しいですが、僕としては核心に近づいているという実感があります。
教えることをためらわない。=想像上の他者と争わない。
インプロの会は一応「インプロワークショップ」と名づけていましたが、実際には「インプロクラス」でした。つまり、インプロを教えるということを追求したクラスでした。
これまでワークショップを行うと、自分の中にはインプロを教えようとする自分と、インプロを教えることを止める自分が混在していました。まるで自分の中に想像上の他者がいて、その人と争いながら、もしくはその人に批判されないように行動していました。
しかし、今回のクラスでは「インプロを教える」ということをためらわない自分がいました。そしてその結果、伝えたいことが伝わるという結果になったように思います。
省察は自分を疑うためにも、信じるためにも必要だった。
では、どうして教えることにためらわない自分になったのかというと、それは省察を積み重ねてきたからだと思います。省察はジョン・デューイによって生み出された概念であり、「自分の信念について改めて考えること」を意味します。これは「自分の信念を意味づけすること」とも言えます。
はっきり言って、インプロが上達すること自体には価値はありません。中には「インプロが上達することによって、日常生活のパフォーマンスも上がる」といったことを言う人もいますが、「それなら話し方教室にでも通っておけ」と僕は思います。
しかし、インプロを通して学ぶこと、例えば失敗に対する恐怖との付き合い方や、創造性の構造とそれを発揮するための在り方などは、価値があることです。
これまで省察を積み重ねたことにより、今の僕は以前の僕よりもインプロに対するこのような意味付けが豊かになっています。その結果、自信を持って教えられるようになったのではないか、と考えています。
一般的に、省察は自分を疑うためのものと考えられています。これまでの自分の信念について疑うことで、新しい考え方が生まれてくる、といった具合です。
しかし今回の変化の中で、省察は自分を信じるためにも必要であることに気づきました。ある信念に対し改めて考え、それでもやはり大丈夫だと思ったとき、人はより自分を信じられるようになるのではないでしょうか。
「子どもの言動に理を与える」 by ドナルド・ショーン
省察は、僕がインプロ教える際にも核となる考え方でした。デューイの省察研究を発展させたと考えられているドナルド・ショーンは、省察的な授業とは「子どもの言動に理を与える」ことであると述べていましたが、今回その意味がより分かった気がします。
インプロをやっていると、良いシーンも出てくれば、悪いシーンも出てきます。これは料理の味と同じように直観的に、そしてほぼ確実に分かるものです。
しかし、なぜそのシーンが良くなったのか、悪くなったのかは分かりづらいものです。今回のクラスでは、良いシーンがあればなぜそのシーンが良くなったのか、悪いシーンがあればなぜそのシーンが悪くなったのか、その意味づけをしようとしました。
そしてその意味づけの過程で、失敗に対する恐怖との付き合い方などは自然に教えられたように思います。これは具体的に言えば、役者がリスクを取って失敗するシーンを見るとそれは良いシーンに見えるが、役者がリスクを取らず失敗もしないシーンを見るとそれは悪いシーンに見える、といった具合です。(ここらへんは実際にインプロをやったことがないと伝わりづらいですね。)
目的の沿って集まり、そして別れていく。(Act!Act!Act!)
今回のクラス&ショーは本当に素晴らしいもので、楽しいものでした。そしてこれはインプロを教える&学ぶという目的があったからこそ達成されたものだと僕は考えています。
今回参加してくれたメンバーは皆素晴らしい人たちでした。しかし、もし同じ人たちで集まってただ遊んだだけなら、これほどの楽しさは得られなかっただろうと思います。
人は目的に沿って集まり、そして目的が達成されたら別れていくものなのだろう、と僕は思いました。中には目的を共有しなくても楽しめる人もいるかもしれません。しかし、自分は目的が無ければ人とは関われない人間なのだな、と改めて思いました。
なお、これは舞台の上でも同じだと思います。例えば「何もするな」と言われて舞台の上に放り出されたら、多くの人は非常に大きな不快感を抱くだろうと思います。反対に、「これをする」というプランが詰まっていれば、人は舞台の上で生き生きとAct(目的を持って行動)することができます。
楽しいことでは続かない。価値あることなら結構続く。
もしインプロがただ楽しいだけのゲームであったならば、僕はすぐに飽きてしまっただろうと思います。なぜなら、感情はそもそも移ろいやすいものだからです。
しかし、今の僕はインプロを探究することに対して価値を感じています。だからこそ今までインプロを続けてくることができたし、これからもインプロを探究しようとしているのだろうと思います。そして今インプロが楽しいのは、インプロ自体が楽しいからというよりも、価値があることを探究することが楽しいからだと思っています。これは先程のActすることと同じことを表しています。
そもそも、スタニスラフスキー的に言うならば、感情はプロセスではなく結果です。そして、感情それ自体を生み出すことは人間にはできません。もしそれをやろうとすると、嘘くさい演技のようなものになってしまします。
学びは遊び。遊びは学び。
これまでの内容を総括する風に言えば、自分にとって学びは遊びであり、同時に遊びは学びなのだと思いました。
一般的には、遊びは無目的なものだと考えられているように思います。しかし僕は、もし本当に遊びが無目的であったら、人は遊べないのではないかと考えています。それはルールの無いサッカーでは、サッカーをすることができないことと同じように。
遊びの中でも、人はそれぞれ目的をもってActしているのではないか、と僕は思います。しかし、その目的はいわゆる目的と言われる固まったものではなく、その瞬間瞬間に生成される目的であるため、外から見たときには無目的に見えるだけなのではないか、と思います。
そして、瞬間瞬間に目的が生成される、というのはとてもインプロ的な感覚です。インプロでは「この方向で進めよう」とするとシーンは死に、その瞬間に思いついたことを表現するとシーンが生きます。これは「考える」とシーンは死に、「自分の創造性に寄り添う」とシーンが生きる、と言いかえることもできます。
これは「考える」ということが行き詰まっている現代において、一つの突破口になるのではないかと今の僕は考えています。しかし、それはまた今度のお話になりそうです。
おしまい。
2012年1月28日土曜日
久しぶりのインプロその2~活動休止へ
こんばんは。うつみです。
前回久しぶりにインプロをやったインプロゼミ。でもまだ中途半端、ということで今回も再びインプロをやりました。今回のテーマはシーン作りでした(別に合わせたわけではないのですが、何となく合いました)。
ファシリテーターは前回と逆の順番にしよう、ということで1番はもっちー。丸めたタオルを投げながら、それにあわせて連想ゲームやワンワード物語作りをしました。もっちー曰く「何かを投げながらやった方がやりやすいし、もし止まったとしてもその様子が分かりやすくて次につなげやすい」とのこと。
2番はれいこさん。「タイプライターをやりまーす」と言って、椅子を準備。おもむろに座る僕。タイプライターとは、一人の役者が(架空の)タイプライターに物語をタイプし、それを他の役者が再現するというものです。タイプライターのアイデアと再現する役者のアイデアが絡み合って物語がすすんでいく……はずなのですが、そうはならず。いやー、僕のコントロール癖が出た感じですね。あとミステリーにしたのは挑戦しすぎでしたね。
3番はいーたん。Kenn Adamsの『How to Improvise a Full-Length Play』を取り出し、「結論を紹介します」と宣言。その結論は「Practice, practice, practice.」。みんなで復唱「Practice, practice, practice.」。そして「物語千本ノック」と称して全員で物語作りをしました。これは誰でも楽しく出来そうなので、やり方を詳しく書いておきましょう。
まず、Kenn Adams作の物語の素を説明します。
次に、参加者(9人がベスト)に1枚ずつ紙を配ります。そして、それぞれ物語のジャンルを宣言してもらいます(被らないほうがいい)。宣言が終わったら、それぞれ「1. むかしむかし、あるところに……」のところを書きます。書いたら、紙を時計回りで回します。そして「2. 毎日、毎日……」のところを書きます。これを繰り返すと、一周回った時に9つの物語ができあがり!となります。
いやー、面白かったですね。ナイスアイデア。
さて、休憩をはさんで4番は僕。「ExtendとAdvance(ひろげるとすすめる)」というゲームをやりました。話を途中で詳しくして、そこからまた話をすすめていくゲームです。詳しいルールは検索しましょう。いーたんの物語作りは確かに楽しかったんですが、あんまり「進める進める」ばかりだとしんどくなるので、広げてから進めるのはどうでしょう、ってことでやってみました。
そして振り返り。またも色々出すぎて忘れてしまったので内容は省略。覚えている部分もあるけれど、マニアックすぎるのでやっぱり省略。個人的には、4人のファシリテーションがつながっていたのが気持ち良く感じましたよ。
最後の話題は「来週何やる?」といういつものパターン。このままインプロを続ける目的は特に無いよね、ということで煮詰まっていたのですが、「そういえば他のインプログループはどうなってるんだろうね?」という話になり、「じゃー行ってみようか」という流れに。
というわけで、インプロゼミは社会見学ゼミになりました。いつものインプロゼミは一旦活動休止です。
前回久しぶりにインプロをやったインプロゼミ。でもまだ中途半端、ということで今回も再びインプロをやりました。今回のテーマはシーン作りでした(別に合わせたわけではないのですが、何となく合いました)。
ファシリテーターは前回と逆の順番にしよう、ということで1番はもっちー。丸めたタオルを投げながら、それにあわせて連想ゲームやワンワード物語作りをしました。もっちー曰く「何かを投げながらやった方がやりやすいし、もし止まったとしてもその様子が分かりやすくて次につなげやすい」とのこと。
2番はれいこさん。「タイプライターをやりまーす」と言って、椅子を準備。おもむろに座る僕。タイプライターとは、一人の役者が(架空の)タイプライターに物語をタイプし、それを他の役者が再現するというものです。タイプライターのアイデアと再現する役者のアイデアが絡み合って物語がすすんでいく……はずなのですが、そうはならず。いやー、僕のコントロール癖が出た感じですね。あとミステリーにしたのは挑戦しすぎでしたね。
3番はいーたん。Kenn Adamsの『How to Improvise a Full-Length Play』を取り出し、「結論を紹介します」と宣言。その結論は「Practice, practice, practice.」。みんなで復唱「Practice, practice, practice.」。そして「物語千本ノック」と称して全員で物語作りをしました。これは誰でも楽しく出来そうなので、やり方を詳しく書いておきましょう。
まず、Kenn Adams作の物語の素を説明します。
1. むかしむかし、あるところに……
2. 毎日、毎日……
3. ところが、ある日……
4. 5. 6. そのために……(繰り返し)
7. そしてついには……
8. その日以来……
(9. 教訓)
次に、参加者(9人がベスト)に1枚ずつ紙を配ります。そして、それぞれ物語のジャンルを宣言してもらいます(被らないほうがいい)。宣言が終わったら、それぞれ「1. むかしむかし、あるところに……」のところを書きます。書いたら、紙を時計回りで回します。そして「2. 毎日、毎日……」のところを書きます。これを繰り返すと、一周回った時に9つの物語ができあがり!となります。
いやー、面白かったですね。ナイスアイデア。
さて、休憩をはさんで4番は僕。「ExtendとAdvance(ひろげるとすすめる)」というゲームをやりました。話を途中で詳しくして、そこからまた話をすすめていくゲームです。詳しいルールは検索しましょう。いーたんの物語作りは確かに楽しかったんですが、あんまり「進める進める」ばかりだとしんどくなるので、広げてから進めるのはどうでしょう、ってことでやってみました。
そして振り返り。またも色々出すぎて忘れてしまったので内容は省略。覚えている部分もあるけれど、マニアックすぎるのでやっぱり省略。個人的には、4人のファシリテーションがつながっていたのが気持ち良く感じましたよ。
最後の話題は「来週何やる?」といういつものパターン。このままインプロを続ける目的は特に無いよね、ということで煮詰まっていたのですが、「そういえば他のインプログループはどうなってるんだろうね?」という話になり、「じゃー行ってみようか」という流れに。
というわけで、インプロゼミは社会見学ゼミになりました。いつものインプロゼミは一旦活動休止です。
2012年1月21日土曜日
久しぶりのインプロ
危うくブログを書き忘れるところでした。うつみです。
さて、今日は前回の流れを受けて、久しぶりにインプロをやりました。インプロゼミでがっつりとインプロをやったのは沖縄ぶりなので、およそ半年ぶりです。
「なんとなくやると結局つまらなくなるよ」というどみんごのアドバイスにより、時間ごとにファシリテーターを決めて行いました。
1番は僕がやりました。テーマは「仏教的インプロ」。シーンの中で既に起きている変化(仏教的に言うと「アニッチャー」)を見つけ、それを増幅することで物語をすすめようとしたらどうなるかについて実験をしました。
2番はいーたんでした。普通の大喜利の後にノー・ラフ大喜利(お客さんを笑わせてはいけない大喜利)をやり、「普通のことを言っても、なんか面白くなるんだよね」ということについて話しました。
3番はゼミ長。「考えてきてないよー」と言いつつハットゲームをやりました。そして「(うつみ)なんでハットゲームをやろうとしたの?」「(ゼミ長)なんか思い浮かんできたから」「(うつみ)なんで思い浮かんできたの?」「(ゼミ長)うーん……」というところで休憩へ。
4番はれいこさん。さしすせそ禁止ゲーム(シーンの中で「さしすせそ」を言ったら退場。ただし復活あり。)をやりました。れいこさん曰く「この前やったワークショップで、予定にあったさしすせそ禁止ゲームを抜かしたら、その後が上手くいかなかった」とのこと。
5番はもっちー。ジブリッシュ(めちゃくちゃ言葉)でいくつかのシーンをやりました。もっちー曰く「ワークショップでジブリッシュをどう使ったらいいかが、いまいち自分の中で落ちていないのでやってみた」とのこと。
そしてみんなで振り返り。色々出すぎて忘れてしまったので内容は省略。結論としては、来週ももうちょっとインプロをやってみよう、ということになりました。
個人的には、全体として探り探りのインプロだったかな、という印象です。そしてちょっと言葉が多すぎたかな、という反省です。まぁ久しぶりなのである程度は仕方ないですね。分かってはいたことですが、前回のいーたんが言ったところの「インプロを学ぶ」の段階にまだまだ探究できるところがあるなーと思いました。
さて、今日は前回の流れを受けて、久しぶりにインプロをやりました。インプロゼミでがっつりとインプロをやったのは沖縄ぶりなので、およそ半年ぶりです。
「なんとなくやると結局つまらなくなるよ」というどみんごのアドバイスにより、時間ごとにファシリテーターを決めて行いました。
1番は僕がやりました。テーマは「仏教的インプロ」。シーンの中で既に起きている変化(仏教的に言うと「アニッチャー」)を見つけ、それを増幅することで物語をすすめようとしたらどうなるかについて実験をしました。
2番はいーたんでした。普通の大喜利の後にノー・ラフ大喜利(お客さんを笑わせてはいけない大喜利)をやり、「普通のことを言っても、なんか面白くなるんだよね」ということについて話しました。
3番はゼミ長。「考えてきてないよー」と言いつつハットゲームをやりました。そして「(うつみ)なんでハットゲームをやろうとしたの?」「(ゼミ長)なんか思い浮かんできたから」「(うつみ)なんで思い浮かんできたの?」「(ゼミ長)うーん……」というところで休憩へ。
4番はれいこさん。さしすせそ禁止ゲーム(シーンの中で「さしすせそ」を言ったら退場。ただし復活あり。)をやりました。れいこさん曰く「この前やったワークショップで、予定にあったさしすせそ禁止ゲームを抜かしたら、その後が上手くいかなかった」とのこと。
5番はもっちー。ジブリッシュ(めちゃくちゃ言葉)でいくつかのシーンをやりました。もっちー曰く「ワークショップでジブリッシュをどう使ったらいいかが、いまいち自分の中で落ちていないのでやってみた」とのこと。
そしてみんなで振り返り。色々出すぎて忘れてしまったので内容は省略。結論としては、来週ももうちょっとインプロをやってみよう、ということになりました。
個人的には、全体として探り探りのインプロだったかな、という印象です。そしてちょっと言葉が多すぎたかな、という反省です。まぁ久しぶりなのである程度は仕方ないですね。分かってはいたことですが、前回のいーたんが言ったところの「インプロを学ぶ」の段階にまだまだ探究できるところがあるなーと思いました。
2012年1月14日土曜日
『インプロの履歴書』
そういえば昨日卒論を提出しました。うつみです。
今日のゼミは、始まる前から大きな期待と多くのお菓子にあふれていました。なぜ大きな期待にあふれていたかというと、今日は前回の流れを受けてみんなが『インプロの履歴書』を発表する会だったからです。そしてなぜ多くのお菓子にあふれていたかというと、みんな今日はお菓子が必要だと思ったんだよね、うん。
ゼミが始まり、最初のモコから最後の僕まで、それぞれ自分とインプロとの関わりを発表しました。時間にして3時間以上。
個人的な内容も多いためそれぞれの発表内容は省略しますが、全体として「インプロにおける学び」に着目した発表が多かったと思います。
これについては、いーたんが上手にまとめていました。いーたんはインプロにおける学びを「インプロを学ぶ」から「インプロから学ぶ」へ、そして「インプロで学ぶ」と総括していました。
それぞれの学びの意味は次のようになると思います。
インプロを学ぶ=インプロ自体を学ぶ。
インプロから学ぶ=インプロの中から、普段も使えそうなスキルを身につけていく。
インプロで学ぶ=普段の自分をインプロ的に見ることによって、自己認識を深めていく。
さて、このように学びが総括されたインプロゼミですが、同時に「卒制で何をしたらいいだろう?」という状態になってしまいました。探究したいことが無ければ、制作をする必要も無いからです。
しかし、ここでもっちーが「来週は普通にインプロをやってみたらいいんじゃない?」と一言。そしてどみんごも「みんなインプロはもう分かった、みたいな雰囲気を出してるけど、本当にインプロを分かっているの?」と一言。
夏休み以降やっていなかったインプロ。否、ある意味避けてきたインプロ。しかし、インプロゼミは再びインプロに戻ってきました。
来週のインプロゼミは、インプロをやります。
今日のゼミは、始まる前から大きな期待と多くのお菓子にあふれていました。なぜ大きな期待にあふれていたかというと、今日は前回の流れを受けてみんなが『インプロの履歴書』を発表する会だったからです。そしてなぜ多くのお菓子にあふれていたかというと、みんな今日はお菓子が必要だと思ったんだよね、うん。
ゼミが始まり、最初のモコから最後の僕まで、それぞれ自分とインプロとの関わりを発表しました。時間にして3時間以上。
個人的な内容も多いためそれぞれの発表内容は省略しますが、全体として「インプロにおける学び」に着目した発表が多かったと思います。
これについては、いーたんが上手にまとめていました。いーたんはインプロにおける学びを「インプロを学ぶ」から「インプロから学ぶ」へ、そして「インプロで学ぶ」と総括していました。
それぞれの学びの意味は次のようになると思います。
インプロを学ぶ=インプロ自体を学ぶ。
インプロから学ぶ=インプロの中から、普段も使えそうなスキルを身につけていく。
インプロで学ぶ=普段の自分をインプロ的に見ることによって、自己認識を深めていく。
さて、このように学びが総括されたインプロゼミですが、同時に「卒制で何をしたらいいだろう?」という状態になってしまいました。探究したいことが無ければ、制作をする必要も無いからです。
しかし、ここでもっちーが「来週は普通にインプロをやってみたらいいんじゃない?」と一言。そしてどみんごも「みんなインプロはもう分かった、みたいな雰囲気を出してるけど、本当にインプロを分かっているの?」と一言。
夏休み以降やっていなかったインプロ。否、ある意味避けてきたインプロ。しかし、インプロゼミは再びインプロに戻ってきました。
来週のインプロゼミは、インプロをやります。
2012年1月6日金曜日
卒制会議
あけましておめでとうございます。インプロゼミブログです。うつみです。
今年のインプロゼミは1月5日からスタートしました。こんなに早い時期からスタートするなんて、インプロゼミは本当にハードなゼミですね……?
さて、今日のテーマは「卒制で何をする?」です。次のような流れで卒制について話し合いました。
1. ブレインストーミング
アイデアを出すならとりあえずブレストかな、ということで、ホワイトボードを囲んでブレストを始めました。「この前、白熱教室でブレストをやってたよ」みたいな話をしながら、思いついたことを書き出す書き出す。
しかし、途中からいーたんが「ツイスター対決」「ドミノワークショップ」「巨大ピザ作り」と、卒制でやりたいことから、ただのやりたいことを書き始め、ブレストは混迷へ。
2. うつみプレゼン
僕はあらかじめやりたいことを考えていたので、ここでプレゼンをしました。内容はこんな感じです。
「演劇とワークショップを一緒にやるってのはいいんじゃない?」となりつつも、僕がモデルケースとして出した恋愛の話については「恋愛の話はもういいんじゃない?」となり、別のテーマ探しに。
「仕事」「サスペンス」「暇」といろいろテーマは出てくるものの、特に決まらず。
3. ドミノタイム
ここでどみんごが「遠いものをくっつけた方がストーリーは作りやすい」という話をして、最後に言った「両親がドミノ」という例がみんなのツボにはまってしまいました。
さぁ、ドミノタイムのスタートです。
「ドミノ倒しで生まれた」「親戚もドミノ」「ドミノに年金は払われるのかどうかで問題が起きる」「ドミノと将棋の間で戦争が」「母親が実は将棋だった」と、ドミノで熱く語りあいました。
4. 本物の白熱教室
ドミノですっかり盛り上がったインプロゼミですが、さすがに「ドミノの話どーでもよくね?」という雰囲気になり、「でもドミノだと『演劇×ワークショップ』という案はやりにくいよね」と話を戻すどみんご。
ここから、そもそもなぜ僕が「演劇×ワークショップ」という案にしたのかについて話し始め、これについて議論が交わされました。
うつみ「インプロにおける学びは分かりづらい。インプロをやってハキハキ話せるようになる、みたいなのだったら分かりやすいけど、僕たちがやってるのはそういうことじゃない。インプロは自己認識を深めるためにあるものじゃん。」
もっちー「確かにそうだけど、『演劇×ワークショップ』という形でやっても、うつみ君が伝えたいようには伝わらないかもしれない。お客さんは因果関係をすっ飛ばして、『インプロやれば恋愛がうまくいくのかー』と思うだけかもしれない。」
どみんご「そもそも、みんながインプロで何を学んでいるのかを共有した方がいい。そしてそれは違っているということを前提に。インプロの履歴書を作ったらいいんじゃない?」
かいつまんで書くとこんな感じですが、実際には「ワークショップでやるなら、答えが出ていないことをやらないと」「でもワークショップは教えないって言っても教えてる」「そもそもワークショップって何?」などなど、話は(いい意味で)多岐にわたりました。
時々訪れる、インプロゼミがゼミらしくなる瞬間。ここにきて、インプロゼミはまさに白熱教室になっていたのでした。
来週の予定
というわけで、来週はそれぞれが「インプロの履歴書」を作ってきて発表する、ということをやります。
明らかにすべき問いは、
「あなたにとってインプロとは何か?」
です。
今年のインプロゼミは1月5日からスタートしました。こんなに早い時期からスタートするなんて、インプロゼミは本当にハードなゼミですね……?
さて、今日のテーマは「卒制で何をする?」です。次のような流れで卒制について話し合いました。
1. ブレインストーミング
アイデアを出すならとりあえずブレストかな、ということで、ホワイトボードを囲んでブレストを始めました。「この前、白熱教室でブレストをやってたよ」みたいな話をしながら、思いついたことを書き出す書き出す。
しかし、途中からいーたんが「ツイスター対決」「ドミノワークショップ」「巨大ピザ作り」と、卒制でやりたいことから、ただのやりたいことを書き始め、ブレストは混迷へ。
2. うつみプレゼン
僕はあらかじめやりたいことを考えていたので、ここでプレゼンをしました。内容はこんな感じです。
演劇 × ワークショップ = ?
物語の途中でワークショップが入る。
主人公は役のままワークショップに参加し、そこで気づきを得る。
その気づきによって、物語は進んでいく。
ワークショップは本当にやる。お客さんも巻き込んでやる。
主人公以外は素に戻る。主人公だけ芝居の中とつながっている。
ファシリテーターは順番にやる。どみんご監督の下でファシリテーションを練習している風に。
ねらいはインプロにおける学びを描くこと。自己認識が大事、ヴィパッサナーが大事、ということ。
「演劇とワークショップを一緒にやるってのはいいんじゃない?」となりつつも、僕がモデルケースとして出した恋愛の話については「恋愛の話はもういいんじゃない?」となり、別のテーマ探しに。
「仕事」「サスペンス」「暇」といろいろテーマは出てくるものの、特に決まらず。
3. ドミノタイム
ここでどみんごが「遠いものをくっつけた方がストーリーは作りやすい」という話をして、最後に言った「両親がドミノ」という例がみんなのツボにはまってしまいました。
さぁ、ドミノタイムのスタートです。
「ドミノ倒しで生まれた」「親戚もドミノ」「ドミノに年金は払われるのかどうかで問題が起きる」「ドミノと将棋の間で戦争が」「母親が実は将棋だった」と、ドミノで熱く語りあいました。
4. 本物の白熱教室
ドミノですっかり盛り上がったインプロゼミですが、さすがに「ドミノの話どーでもよくね?」という雰囲気になり、「でもドミノだと『演劇×ワークショップ』という案はやりにくいよね」と話を戻すどみんご。
ここから、そもそもなぜ僕が「演劇×ワークショップ」という案にしたのかについて話し始め、これについて議論が交わされました。
うつみ「インプロにおける学びは分かりづらい。インプロをやってハキハキ話せるようになる、みたいなのだったら分かりやすいけど、僕たちがやってるのはそういうことじゃない。インプロは自己認識を深めるためにあるものじゃん。」
もっちー「確かにそうだけど、『演劇×ワークショップ』という形でやっても、うつみ君が伝えたいようには伝わらないかもしれない。お客さんは因果関係をすっ飛ばして、『インプロやれば恋愛がうまくいくのかー』と思うだけかもしれない。」
どみんご「そもそも、みんながインプロで何を学んでいるのかを共有した方がいい。そしてそれは違っているということを前提に。インプロの履歴書を作ったらいいんじゃない?」
かいつまんで書くとこんな感じですが、実際には「ワークショップでやるなら、答えが出ていないことをやらないと」「でもワークショップは教えないって言っても教えてる」「そもそもワークショップって何?」などなど、話は(いい意味で)多岐にわたりました。
時々訪れる、インプロゼミがゼミらしくなる瞬間。ここにきて、インプロゼミはまさに白熱教室になっていたのでした。
来週の予定
というわけで、来週はそれぞれが「インプロの履歴書」を作ってきて発表する、ということをやります。
明らかにすべき問いは、
「あなたにとってインプロとは何か?」
です。
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